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”感じる”と”考える”


iRest®アイレスト|ヨガニドラLevel1教師トレーニングを先日終えた。6日間の合宿型のプログラムで、朝から晩まで実践と指導練習を繰り返し、瞑想で感じる抽象的な感覚を、どっぷり浸るように、ただ感じた。感じるためには、思考に歩いていかないように安定した器が必要だ。心のジャーニーに寄り添うための、鏡のような器。そのためのトレーニングを受けてきた。


1人で瞑想の練習をしていると、自分に都合よく解釈し落ち着いたり、(全然落ち着いてないのに)静かにしようとしたり、もしくは落ち着きのなさから自分を責めたり、なんなら環境を悪者にしてしまう時がある。アプローチは違っても、多くの瞑想は心の平安と繋がり本質を生きるためのもの。だけど、私自身のさまよう瞑想を思った時、瞑想は旅のようなものと置き換えるようになった。それで、力が抜けた。こんな感じ。


旅行会社でプラン旅行を選択し、目的地にまっしぐら。ガイドがいて、ついていくだけ。ある程度の安心安全が用意されている。

フリープラン(人生)は、そうはいかない。道に迷い、天候に左右され、人の対応や出来事に心が揺れ動く。目的地に辿り着かない不安や焦りも出てくる。その一方で、自由に歩ければマップには出てないモノや景色と出会い、背負ってたものを下ろす余裕すら出てくる。旅行ほど心の癖やこだわり、信念と出会うものはないんじゃないだろうか。それらを迎え入れ、味わい、好奇心と共にいる。迷ってもいいと許せた時、心地の悪さは力を弱め、自由な選択が生まれ、出会ったことのない景色や感情と出会うことができる。


どちらも意味があり豊かだ。その時々の選択からガイド付きもフリープランも良いのだと思う。知らないことはガイドがあれば、安心して楽しめる。世界は知らないことばかり、可能性を信じたい。そして、どの選択だって、いつもベスト。

誰しもがみんな一生懸命生きている。


私たち人間は、動物としての生存本能があり、無意識でもネガティブな方に意識が向くように出来ている。生き残るためには、危険を察知しなければ生きていけないのだ。誰だって、傷つきたくなんかない。だけど、いつも不安から世界を見ていたら、守るために、これは良い悪いと判断し続けなければいけない。その判断が、自分を怯えさせ、小さくさせてることにどれくらいの人が気がついてるだろうか。その反面、叶えたい想いがあることをどれくらいの人が気がついてるかな。そして、そのギャップが苦しさの原因だということを。


iRest では、身体での直接体験をどっぷりとする。ガイドは、ただそこに存在する。何が本当に起きてるかをフィルターを通さず感じられるように、自分の心からの願いと繋がれるように、”感じる”ための伴奏者だ。十分迷っても、不安でも、感じることに戻してくれる。思考が自分や周りを二つに引き裂くのを止めることが出来たら、人は安心してリアリティに留まり、本当に大切なものがあったことを思い出せる。あえて、”思い出す”という言葉を使うのは、心は本能でこっちの方が気持ちが良いというのを知ってるから。心からの願いと繋がった私は、強く優しく勇気があり、そこから広がる光は周りを照らす。そんな人たちが周りに溢れることを願ってやみません。そして、1人1人が世界の最小単位の自分を満たし、その繋がりが大きくなれば、豊かな循環がうまれるはず。だから、まずは私から。


3月いっぱいまで、Dyadという2人瞑想のモニターを無料で募集します。(私と面識ある方に限らせて頂きます)


もし、興味のある方がいたらDMをお願いします。詳細をお伝えします。




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